2016年4月24日日曜日

マーマレード・イヴニング


作詞:売野雅勇
作曲:小田裕一郎
編曲:大谷和夫

奈保子さんの曲の中で“異彩を放っている曲”を挙げるとすれば、私なら“シブ知”なところで「マーマレード・イヴニング」ですね。

とにかくお洒落で、カッコいい。こんな曲、ほかにありません。特に編曲の大谷和夫さんが素晴らしい仕事をされています。編曲の方法にもいろいろあって、曲中に出てくるメロディーとはまったく関係のない、しかし相当キャッチーなフレーズを曲頭に持ってくることなどもあり(例えば、若草恵さん編曲の「夏のヒロイン」、鷺巣詩郎さん編曲の「デビュー」など)、そういう手腕の冴えは、アレンジャーの仕事の役割の大きさをわかりやすく聴き手に伝えてくれますが、ここでの大谷さんの仕事は基本、伴奏の音づくりに徹しています。しかし、コーラスも含めた厚みのある温かいサウンド、♪口びるにほろ苦い黄昏れ~の直後の意表を突くF音(ファ)の切り返し、♪哀しみが心を叩くわ~の旋律を支える新鮮な和声進行など、アレンジャーの仕事の奥深さというものを渋く魅せてくれています。私が知る限り、奈保子さんの曲で大谷さんがアレンジを担当したものは、この曲と「12月のオペラグラス」の2曲のみ。もっとたくさん聴きたかったですね。(ちなみに、作曲の小田裕一郎さんの起用も、同2曲のみでした。)

それから、これはまったくの独断と偏見によりますが、この曲での奈保子さんの歌唱には、どことなく大瀧詠一さんっぽい香りが漂っています。それがこの曲を、独特の位置へと押し上げています。

大瀧さんが「A LONG VACATION」や「EACH TIME」で聴かせる伸びやかな歌唱に、私は、バロック時代の音楽のような遊戯の精神、同じメロディーでも2度と同じようには歌わない即興性、過剰なほどに装飾音を施す一種の気取り、を感じています(構造主義的音楽家としての大瀧さんの思想と業績については私の手に余るので、ここでは触れません)。その歌唱法は、楽譜通りの生真面目さを基本としてきたアイドル歌手・河合奈保子の歌唱とは、相容れなかったように思えます。少なくとも「エスカレーション」や「UNバランス」のような挑発系の曲でさえ、演出に頼ることなく、大真面目に勝負しきった奈保子さんですから...。

しかし、この「マーマレード・イヴニング」には、お洒落な曲とアレンジに敏感に反応し、すっと肩の力を抜いて歌うくつろいだ奈保子さんの姿を見つけることができます。そうすることで、音符の脇から、ファンタジーがふつふつと涌いて、多彩な色を染めていくようです。ここを起点として、「微風のメロディー」「気をつけて夏」「Home Again, Alone Again」などの、やわらかな声のトーンと淡い色彩とを上品に醸し出すラインにつながっていくのだなぁ...などと考えたりもします。

大瀧さん独特の「こぶし」のような節回しに、奈保子さんの歌い方が似ているフレーズをいくつか書き出してみましょう。

 ♪あなたの手のひらで光る~
 ♪シェイドから滑り込む秋の陽のため息~
 ♪罠にかかった人魚のようよ
 ♪もいちど髪をほどいてあげる~
 ♪サヨナラを言いかけてサヨナラが言えない~
 ♪マーマレード・イヴニング~
 ♪口びるにほろ苦い黄昏れ
 ♪口づけて封印めた哀しみが心を叩くわ
 (その他、リピートでの1回目とは違う節回しなども)

奈保子さんのほうが、音を転がす速度が速いので、聴き逃してしまう箇所があるかもしれません。しかし、よくこれだけ、音に細かい装飾を施したものです。大瀧さんにしても、奈保子さんにしても、このような節回しは、高度なテクニックを要する一方(どうぞご自分で真似してやってみてください)、力んではできない、つまり口笛を吹くような気軽な感じで息を流してあげないとできない、という「難しさ」があります(口笛も口びるに力が入っていたら吹けませんね)。

ヤング・ボーイ」の♪あなたのすべてを~や、「ムーンライト・キッス」の♪秋の気配の潮風が~や、「Invitation」の♪お似合いの恋人になる約束するわ~などでさりげなく実行してきた奈保子さんの高度な節回しが、ここに洗練された形で集約された、と感じられます。

さらに、曲の終わりには奈保子さんの美しいスキャットが響き渡ります。アドリブっぽい遊戯の精神を漂わせる奈保子さんのフレージングは、黄昏色の空に、帰巣するのをためらって翼をはためかせる鳥の飛行のように、束の間の自由を楽しんでいます。できることなら、このままフェードアウトせず、ずっと空を舞い続けてほしい...。そんなもの悲しさと切なさとをふりまきながら、この印象深い曲は閉じられます。


2016年4月17日日曜日

悲しみのアニバァサリー


作詞:さがらよしあき
作曲:河合奈保子
編曲:横倉裕
(コーラスアレンジ:ミッキー吉野)

奈保子さんが作曲した作品の中で、私の最愛の曲です。

あるレビューのサイトでは「売上が地を這う状態で、歌いだしいきなり♪あの日を忘れない~などといわれると、うわ引退か、などと思ってしまう」と書かれています。奈保子さんが主演したミュージカル「THE LOVER in ME ~恋人が幽霊」の挿入歌として作られたようなので、それは深読みのし過ぎとも思いますが、0.4万枚という売上の数字は確かにショックですね。(ちなみにそのレビュアーの方は、曲自体は大変高く評価されています。)

確かに、一つの時代が終わったという区切りの意味を含んでいるのでしょう。
(私も思いっ切り妄想&深読みします。すみません。)

歌詞は、喪失の悲しみと再会への期待を切々と綴っています。「あの日」という言葉の意味するところを、奈保子さんのアイドル歌手時代、あるいは1980年代という華やかかりし時代、さらには昭和という歌謡曲全盛の時代、と読み替えることもできそうです。そうしますと、この曲にはもっと大きな「別れ」の意味が込められているように聴こえてきます。

「悲しみのアニバァサリー」は、アルバム「Calling You」(1989年11月21日発売)の先行シングルとして、同年11月10日に発売されました。この年の1月7日に昭和天皇が崩御され、元号はすでに平成に変わっています。

Wikiの情報によると、当初は「あなたへ急ぐ」がA面候補だったそうです。差し替えられたのは、おそらく制作中のミュージカルとの兼ね合いなど、ビジネス上の理由によるものでしょう。

でも、私の想像は自由...。奈保子さんが深い想いをこめて作ったこの“昭和への挽歌”が、作品自体が持つ力と、時代の要請という不思議な力とを重ね合わせ、内的必然性をもって、A面を獲得するに至ったと思われるのです。今から見れば、売上など、作品の質とは何ら関係ありません。昭和の幕切れという、我が国の文化史上でも大きな転換点となるこのタイミングで、この「別れ」の歌を発表しておくことにこそ、正しい意味・意義があったのだと、私は声を大にして言いたいのです。

アルバム「Calling You」では、昭和という時代の残照のごとく懐かしい香りが漂うラスト・ナンバー「月影のふたり」の前に「悲しみのアニバァサリー」が置かれていること。この配置の意味も、奈保子さんファンならしっかり受け止めるべきだと思います。

それにしても美しい曲。どうしてこのような曲が作れるのか、私にはわかりません。きれいな心。どこにも演出的な作為がありません。音は、私たちが聴いた瞬間に過去のものとなりますが、その余韻がこれほどまでに美しく残る音楽が他にどれだけあるか....私にはわかりません。

最後に...。
熊本地震で被災された方々に謹んでお見舞い申し上げます。
この曲の美しくも悲しい調べとともに、お祈りを捧げます。




2016年4月14日木曜日

LOVE


作詞:竜真知子
作曲:林哲司
編曲:船山基紀

この曲には少なからぬファンがいるようです。ファーストアルバム「LOVE」のラスト・ナンバーにして、タイトル・ナンバー。いわゆる「アイドル歌謡」とはちょっと雰囲気の違う、力みのない、お洒落なシティ・ポップス系の響き。CD「私の好きな河合奈保子」では、B面曲・アルバム曲のカテゴリで9位に入りました。

White Autumnさん執筆による、ご自身の回想も背景に流れる美しい文章のほか、Web上にはいくつか「LOVE讃」の記事を見つけることができます。

White Autumnさんの記事
河合奈保子 音楽夜話の記事

twilightさんの記事

私はというと、実は、つい最近まで「物足りない曲だ」と感じていました。ファーストアルバムとは言え、アルバム「LOVE」は濃厚な曲ばかりで、1曲目から9曲目までの音と言葉にこれでもかと引きずり回された挙句(シングル曲に加え、「甘いささやき」「素肌の季節」など盛りだくさん!)、それらの後に、アルバムの締めくくりとして鳴り響く曲にしては、曲自体も、サウンドも、奈保子さんの歌も、いくらか弱い。この曲にだけ、何故か突然起用されている作曲者・林哲司さんのクレジットがとても居心地悪そうに見えるのと同様に、この曲自体にも、なにか居場所を間違えてしまったかのような、浮いている感じを、私は最初から聴き逃しませんでした。

しかし、詞の読み手として、音楽の聴き手として、敬愛してやまないWhite Autumnさんが3.11の私の記事にくださったコメントが、私を変えました。♪あなたの言葉ひとつひとつが私を変えてしまう~のです。

これは、お祈りの曲。
無垢な少女が歌い、踊りながら、お祈りを捧げる曲。

アルバム「LOVE」は、赤、青、バラ色など、強烈な色彩感を伴って、1曲目からずっと綴られてきました。それが、ラストのこの曲に至り、パステルカラー(=明るい中間色)の世界に落ち着きます。私が感じていた「物足りなさ」の裏側にあったのは、居心地のよさ、安らぎ、健やかさ、でした。

少女はお祈りします。
この平明な時間がいつまでも続きますように、と。

しかし、メリーゴーランドの如く世界はまわり、時計の針も、人の気持ちとは無縁に進み続けます。パステルカラーの心の平安は、束の間に過ぎ去ってしまうかもしれません。

だからこそ、人はこの「束の間」を慈しみ、祈ることをやめないのです。このような時、「宗教」は必須ではないと、私は思います。ささやかな日常に、お祈りの気持ちを忘れず生きることで、私たち人間は品格を保って過ごせる気がします。そのことに気付かせてくださったWhite Autumnさんと奈保子さんとこの愛すべき曲に、心から感謝します。

奈保子さんの初々しい、きれいな声で発せられる「あなた」。とある恋人という具体性を飛び越え、もっともっと広いことを指しているように聴こえてきました。この世の慈しむべきすべてに注がれる少女の清らかな愛情(=LOVE)こそ、祈りという行いのもっとも純粋な姿と言えるかも知れません。


2016年4月1日金曜日

雨のプールサイド


作詞:吉元由美
作曲:河合奈保子
編曲:瀬尾一三

奈保子さんの声がかれています。

この曲では、私としては、まずそのことに触れなければなりません。「どんなに恐るべき個所でも、決して耳をそこなうようであってはならず、結局は耳を満足させる―つまりどこまでも音楽でなくてはなりません」と語ったモーツァルトとほとんど同じ精神で音楽に向かっていたと考えられる奈保子さんにあって、声がかれているなどということは、とりわけレコーディングの時など、「ありえない」ことだったはずです。

「悲しい曲だから、かえって声がかれてたほうがリアルな感じで、いいんじゃない?」という考え方もあるでしょう。それは、音楽を、演劇的身振りでとらえる人の方法。一方、奈保子さん側の人たち(自分の発する音の美しさに命をかけてきたような人たち。クラシックの人に多い)は、そうは考えません。もう一度、モーツァルトの言葉を読んでみてください。「音楽はいかなる時も美しく響かねばならない」のです。

  抱きしめてね
  色あせてく 幸福(しあわせ)の淋しさよ

サビの最後の部分。全体的に声を張るのがつらそうですが、最後の「よ」で引っぱるところは、痛々しい声がれの雑音が容赦なく記録されています。

「奈保子さんっぽくないなぁ...」

最初に聴いた時、私は残念に思いました。

でも、それに代わる大事なものが、ここにはある。「疾走感」です。音楽は、一回性の芸術であって、一回鳴った音を取り戻したり、再現することはできません。(レコードに記録された音であっても、再生装置や気温・湿度といった外的要因、私たちの心の状態という内的要因の両方によって、二度と同じように響くということはありません。)声がかれている、かれていないという音声の状態は、とりあえず置いておいて、この悲しみがひた走るような疾走感は、いくら奈保子さんと腕扱きのミュージシャンたちと言えども、二度と再現することはできなかったのでしょう。

♪9月の雨 打たれてた~とAメロに出てきますが、太田裕美さんの「九月の雨」も、途中で止めることなど決してできない疾走感に溢れた名曲だったなぁ...なんて思ったり。

脱線ついでに。「九月の雨」の作曲は筒美京平さんで、ダイナミックな音の跳躍も辞さない劇的な旋律が持ち味ですが、「雨のプールサイド」は逆の意味で、また筒美京平さん的と言えるのです。音から音への移動が、ほぼ隣り合わせの音に限られている。例えば、サビ(♪「理由は聞かないの?」~)の旋律は「ドシラドシラソラ~」。Aメロからサビに至るまで、全編この流儀で旋律が紡がれています。ちょうど「ちょっぴりパッショネイト」の記事で触れた筒美京平さんならではの職人的作曲法に近いんですね。さすが奈保子さんだと思いました。

twilightさんのブログによると、まず吉元さんから「雨のプールサイド」というタイトルだけが提示され、そこから奈保子さんが感じ取ったメロディーが生まれ、その音に詞をつけて完成、という曲作りだったようです。出来上がった詞には、プールサイド感があまり出ていませんが...。曲がすごくいいので目をつむることにします。