2014年10月29日水曜日

いい日旅立ち


最近、念願のLive Premiumを入手しました。
とても嬉しいです!

その中から「いい日旅立ち」をリピートしています。谷村新司さんの作詞作曲で、山口百恵さんが19歳の時(1978年)リリースしたヒット曲。このライブの時の奈保子さんも19歳(1982年)。百恵さんに比べると幼さが残っていて、歌にもちょっと若さが出ていますが、百恵さんの雰囲気たっぷりの歌と同じくらいに、私はここでの奈保子さんの歌にも惹かれてしまっています。

この歌は、悲しく、つらい歌。♪ああ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる~♪と歌っても、それは主人公の淡い期待、あるいは夢の中の情景なのであって、もしかしたら誰も私のことなど待っていないかもしれない。主人公は、父母や親しかった人たちとも別れ、一人旅に出るのですが、その旅が決して明るく楽しいものにはならないことを覚悟しています。それでも、いま、一歩を踏み出さなければならない。悲壮な覚悟の歌、と言ってもいいと思います。

奈保子さんは、歌詞の意味を深いところで理解して、聴いていて思わずぞっとするほど、暗く沈んだ声で歌っています。「いい日旅立ち」という宣伝めいた、明るいタイトルに惑わされ、結婚式などで歌われてしまうこともあるこの曲の、まるで陰画みたいだなぁと、その声を聴いた瞬間思いますが、実は奈保子さんの表現こそ、この曲の本来あるべき姿と言えるのです。

♪ああ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる~♪の調べは、もう期待とか夢とかを通り越して、痛切な祈りにまで達しています。




2014年10月25日土曜日

黄昏ブルー


作詞:竜真知子
作曲:馬飼野康二
編曲:若草恵

メンデルスゾーンの無言歌のようなピアノのソロに始まり、それをストリングスが引き継ぐ、ちょっと大げさな悲しみを湛えた短調の前奏。個人的にこういうの、ツボなんです。しかも、こういう生楽器の伴奏に、奈保子さんの声が合わないはずがない。♪右手にしていた銀の指輪~♪と、奈保子さんが憂いを含んだ声で歌い始めると、もうウットリしてしまいます。

「黄昏ブルー」は、1982年9月1日発売のシングル「けんかをやめて」のc/w曲。有名な「けんかをやめて」の影に隠れがちですが、曲も、奈保子さんの歌も、再評価されて然るべき質の高さを誇っています。

もうすぐSeptember」の記事でも触れましたが、この曲にも、馬飼野康二さんの思い描く“中期の河合奈保子像”が明確に打ち出されている気がします。曲は一貫して短調。同じ短調の曲でも、ごく初期の「青い視線」「そしてシークレット」などでは、ご自身のキャラにはない“悲しみ”や“憂い”を表現しようと、体当たりでがんばっている奈保子さんがいましたが、デビューして2年が経ち、さまざまな経験を積んだここでの奈保子さんの歌は一味違います。短調の曲にも自然に気持ちが乗っかり、うっすらと涙を浮かべているような、憂いを含んだ歌声が、何の構えもなしに発せられるようになっています。“豊かな情感を、自然に表現できる歌手”というのが、中期の奈保子さんに対する馬飼野康二さんのイメージだったんだろうなぁ、なんて想像しています。

  悲しいくらい好きなんです
  まっすぐにまっすぐにあなただけ
  悲しいくらい好きなんです
  ゆれながらゆれながら秋は黄昏ブルー

Bメロの盛り上がりを受けて、♪悲しいくらい好きなんです~♪とたたみかけるように訴えるサビですが、聴き手の意表をついて、ここで音楽はいったん終息するかのようです。切ない想いとともに恋人を待ち続ける少女は、はっと我に返り、気持ちを落ち着けようとする。しかし、恋人に会いたい気持ちは抑えきれず、その心は前にも増してたかぶってゆく...。そんな少女の一瞬のうちに揺れ動く心の様子が、そのまま音に表されたかのように、♪まっすぐにまっすぐに~♪と、♪ゆれながらゆれながら~♪では、終息からの弱音に始まり、そこから急激にクレッシェンドしていく形がとられています。

奈保子さんの、音楽を感じ切った歌い方は本当にすばらしいです。“音楽的素養がある”と奈保子さんはよく言われますが、それはこういうところにもはっきりと表れていますね。そして、歌い収めの♪秋は黄昏ブルー~♪の、切なさの声色。黄昏色に暮れてゆく秋の日のもの悲しさと、主人公の憂える気持ち(ブルー)とが、奈保子さんの声に重ね合わされ、聴く人の心の奥底にまで沁み込んできます。


2014年10月22日水曜日

FIN 白夜の季節


作詞:売野雅勇
作曲:筒美京平
編曲:矢島賢・矢島マキ

まだLPが主流だった当時(「さよなら物語」の発売は1984年12月)、アルバムを制作する際にはA面、B面をどう構成するか、とても大きな問題だったに違いありません。奈保子さんのアルバムを見渡しても、A/B面で作曲家を変えてみたり、Shady SideとSunny Sideに呼び分けてみたり(「HALF SHADOW」)、その他いろいろな工夫を凝らしていたことがうかがえます。

しかし、アルバムの全曲を同じ作詞家、作曲家、編曲家が受け持つという、思い切ったコンセプトのアルバム「さよなら物語」は、曲構成の点でも時代の先端を行っています。すなわち、すでにCDの時代であることを宣言するかのように、A面、B面という概念を潔く捨て去っているのです。(ちなみに、このアルバム発売の2年後の1986年に、販売枚数でCDがLPを上回ります。すごい蛇足ですが、書道展で入選したご褒美に私が親からCDプレーヤーを買ってもらったのも86年でした。)

アルバム全体で一つの物語を綴るように意図された作品なら、他にいくらでもありそうですが、「さよなら物語」に特段の先鋭性を感じるのは、来るべきCD時代を意識した曲構成によるところも大です。9曲からなるアルバムは、5曲目の「FIN 白夜の季節」を折り返し地点として、前後をシンメトリカルに構成。2と8、4と6という偶数番にシリアスな、聴きごたえたっぷりの曲が置かれ、3と7には歌詞の内容はともかく、歌としては開放的なカンツォーネ風の曲が来て、1と9にはOPとEDにふさわしいナンバーが配置される。このような構成は、盤面を返す必要がなく、全曲を一気に再生できるCDというメディアを通じてこそ、生きてくるわけです。

失意のまま、主人公が北欧を旅する「FIN 白夜の季節」は、フルコース料理の口直しの皿といいますか、多楽章構成の交響曲のスケルツォといいますか、少なくとも音楽的にはそのような“場と場をつなぐ”性格と役割が与えられています。つまり、単独で聴かれることをねらった曲ではなく、全体の流れの中で初めて生きる曲として筒美京平さんは書いた、と言えそうです。4~5分という比較的長めの曲がずらりと並ぶ「さよなら物語」にあって、3分ちょっとしかないこの曲の例外的な短さも、象徴的ですね。


2014年10月20日月曜日

HOTEL RITZ 人生という名のレヴュー


作詞:売野雅勇
作曲:筒美京平
編曲:矢島賢・矢島マキ

パリで恋人と別れ(「PARIS OCTOBRE」)、ヴェネツィアに一人旅した主人公は(「VENEZIA」)、いったんパリに戻り、街の喧噪にその身をまかせながら、恋人のいないさみしい冬を迎えている...。アルバム「さよなら物語」の4曲目です。

そのさみしさを紛らすように、主人公はホテルのバーで歌うことを生業としている。そんな映像が鮮やかに目に浮かんでくるのが「HOTEL RITZ 人生という名のレヴュー」です。(twilightさんとまったく同じ感想なのでびっくりしました。)

扉をあけると、きらびやかに着飾った客たちが、カクテルを片手におしゃべりしながら、ヴォーカリストの登場を今か今かと待っています。ハモンドオルガン、バンドネオン、ウッドベースがその喧噪を突き破って前奏を開始し、いよいよヴォーカリスト(主人公)とコーラスが登場。主人公は、バンド、コーラスの仲間たちと、バーの一角で妖艶な夜の音楽を紡ぎ出しながら、冬空を彩る花火のように、光っては消える、数知れぬ儚い恋の行方を見定めているのです。

  唇には la vie
  Ah... 花びらのように
  夢の続き見せるひと
  Ah... カクテルに浮かべ

この部分、サビと言っていいのでしょうか。とても好きです。メロディーとか、奈保子さんの歌い方とか、そういうことよりも、ヴォーカルがコーラスやバンドと一体となったアンサンブルが、実に立体的で美しいのです。ベースが着実にリズムを刻み、バンドネオンが即興的に和音を添え、ヴォーカルとコーラスはどちらが主とも従ともつかぬ旋律を対位法的に絡ませていきます。もし、こんな音楽がホテルのバーで流れて来たら、私だったら恋人との会話もしばし打ち切り、陶然と音楽に聴き入ってしまいそうです。


2014年10月16日木曜日

砂の舟、草の舟


作詞:吉元由美
作曲:河合奈保子
編曲:瀬尾一三

曲を聴く前に詞を読み込む、ということを、私は特にしませんが、ブックレットをめくって歌詞全体を眺めた瞬間にパッと浮かぶイメージってありますよね。漢字が多かったり、カタカナが多かったり、英語が多かったり...。そんな一瞬のイメージで、まだ見ぬ曲の姿を想像したりします。

「砂の舟、草の舟」は、アルバム全体にほとんど英語もカタカナも存在しない「JAPAN」に収録されている曲なので、“和のテイスト”はすでに予想がついているのですが、この曲ではさらに、歌詞を眺めた瞬間、秋の七草の名前が目に飛び込んできます。女郎花(おみなえし)、藤袴、桔梗、葛(くず)、撫子、尾花、萩。

さあ、音楽を聴きましょう。前奏がゆっくりとしたテンポで始まります。秋の七草のイメージがすでにあるので、ああ、切ない心を草花の姿に重ねたバラードかなぁと想像します。ところが、ドラムスに導かれ、キーボードがアップテンポのリズムを刻み始めると、すぐにエッジのきいた奈保子さんのヴォーカルが飛び込んできます。意外なほど、ポップな曲調。歌詞の字面の印象、秋の草花のイメージを鮮やかに裏切り、切なさにとめどなく涙を流したり、悲しみの淵に自らの心を追いやったりする時間など聴き手に与えぬまま、言葉と音楽は、後ろを振り向くことなく、先を急ぐように疾走していきます。

何事につけのんびり屋の私は、こういう曲だと、まったく置いてけぼりを食うことが多いのです。でも、それもまた楽し。奈保子さんの音楽作りに“してやられた”感があって。


2014年10月13日月曜日

ロンリー・ロンリー


作詞:三浦徳子
作曲:馬飼野康二
編曲:馬飼野康二

アイドル・ポップスに私が求めるもの。それは、やっぱり元気の良さ、はつらつとした精神、後味のよいさわやかさ、の3点セットでしょうか。「ロンリー・ロンリー」は、そんな3点セットを求めて私がアイドル・ポップスを聴きたいと思った時、まず手に取る曲の一つです。

1981年11月25日発売の奈保子さん初のベスト・アルバム「Angel」に収録。すでにリリースされたシングル曲が中心の構成ですが、「ロンリー・ロンリー」をはじめ、このアルバムのためだけに収録された曲も何曲かあります。「ムーンライト・キッス」や「ラブレター」の記事でも触れましたが、この年の10月5日、奈保子さんは大きな事故にあい、約2か月間、活動を停止せざるを得なくなりました。「ロンリー・ロンリー」他のレコーディングが、その事故の前だったのか、後だったのか、ちょっと気になるところです。

と言うのも、「ロンリー・ロンリー」での奈保子さんの歌が、あまりに素晴らしいからです。奈保子さん初期の歌唱の代表を、この曲が務めてもいいくらい、なのです。

歌い出しから、シビレます。快速テンポで、いきなり裏拍入り(♪あなたに逢い 嬉しいのに Lonely Lonely~♪)。これがものの見事にバッチリ決まる。当たり前のようでいて、当たり前にはできない。しかも、裏拍に該当する「あ」も「う」も母音だから、タイミングを見定めて発声するのが極めて難しいのです。

奈保子さんはどうしているか。「あ」と「う」に、ほんの少しアクセントをつけ、ほんの少し(おそらく千分の何秒という単位で)歌い出しを早めています。そうすることで、快速テンポの裏拍入りを、ここしかないというシャッターチャンスで切り取った写真のように、完璧に決めています。無策のまま歌っては、楽譜が求める音楽の姿を描き切ることはできない。そのことを奈保子さんはよくわかっていらっしゃいます。

Bメロの♪月影 揺れる コスモスみたいに~♪は拍の頭から入りますが、透明な月の光を連想させる「つ」のきれいな子音が、オケ伴よりも若干前に出るように時間調整されている。サビの締めくくり♪このままで このままで 歩きたい 帰りたくない気持~♪でオケ伴が急に全休止したときの、歌だけで音楽を前に運ぶテンポの刻み方も只者ではない...。その他、奈保子さんが当時持っていた才能とセンスをすべてこの曲に投入したんだろうなぁと想像させる工夫と努力の跡が、よく聴き込むと、この曲のあちこちから聴こえてきます。

私がアイドル・ポップスに求める、元気の良さ、はつらつとした精神、後味のよいさわやかさ、の3点セットは、意外に難しいのですねー。しかし、その工夫と努力の末に生まれ出て来た奈保子さんの歌は、まぶしいくらいの明るさで、聴く人の心にあたたかな灯を点してくれます。


2014年10月6日月曜日

車窓


作詞:来生えつこ
作曲:来生たかお
編曲:若草恵

1984年3月21日にカセットテープのみで発売された企画アルバムの中の1曲で、奈保子さんお得意の来生たかおさんのカヴァー。対になっている曲は、このアルバムにも収録された「若草色のこころで」となるでしょう。

あたたかい春の陽気とまぶしい緑に包まれたフレッシュな旅立ちを歌った歌が「若草色のこころで」だとすれば、“刈りたての稲の海”の淡黄色をバックに、迷いや悩みを振り払い、思い切って新たな一歩を踏み出すための歌が「車窓」だと、言えるかもしれません。いずれも、私にとっては、人生を支えてくれるとっておきの“応援歌”になりそうです。

  出てきてよかった
  小さな部屋から
  数え切れぬ迷いを
  振り切って来た

「若草色のこころで」の主人公は♪やぶれた恋ならすがりつきたくない~♪と歌いますが、「車窓」の主人公は♪数え切れぬ迷いを振り切って来た~♪と歌うだけで、何にそんなに迷っていたのか、具体的には明示されません。前後の文脈からするに、どうも恋愛のことだけではなさそう。むしろ、私には思索的・哲学的な迷いのように感じられます。例えば、次の詞。

  つぶさに観ることは
  出来なくても
  時間をかけて
  この手にする

本質存在は認識することは出来なくても、時間をかけてでも、人生についての観方を変え、現実存在をこの手にしようとする。すなわち、「実存は本質に先立つ」というサルトルの実存主義みたいなことが書かれているのです。

いつも主観的なことばかり綴っているこのブログですが、さらに思い切って言ってしまえば、オリジナルでこの曲をねちっこく歌う来生たかおさんは、えつこ姉さんの言わんとするところをほとんど理解していない、という気がします。ものの本質、あるいは、飛躍を恐れずに言い換えれば「神の存在」みたいなものを、自分はいずれ認識できるんだと思っているから、せっかく外界に自らの存在を解き放っても、スッキリとした歌にならないのです。(ここでは「神の存在」自体の是非を論じたいのではありません。あくまで、詞の世界をテーマに話しています。)

奈保子さんは、さすが。小さな部屋から一歩外に出たら、目に映る景色も、心の中も、すっかり変わる。ガラッと変わる。その「一歩」の重要性が、奈保子さんの風のようにさわやかな歌声の、奥の奥に潜んでいます。ディーゼル列車の窓にもたれ、レールの響きに身をまかせること。それは簡単そうで、実は簡単ではないけれど、奈保子さんは、来生えつこさんが描いた“忘我の世界”への憧憬を100%信じて歌っています。自分は“何者”として生まれて来たのではない。生きていく過程で何者かになってゆくのだ――これはまさに、実存主義の世界観。自分という存在を何色にだって染め得るような、そんな光にみちた自由な世界へと、ディーゼル列車と奈保子さんの歌声は連れて行ってくれるのです。

来生たかおさんの歌い方には批判的なことも書いてしまいましたが、曲としては最高の出来映えですし、奈保子さんの歌声に来生さん独特のメロディーラインはとても合っていますよね。おまけに、奈保子さん絶頂期の歌唱ときています。当ブログでは、「浅い夢」「若草色のこころで」「涼しい影」「オレンジ通り5番街」に続き、今回が5曲目の来生作品ですが、奈保子さんがレコーディングした来生作品ということでは、まだあと10曲以上残っています。来生さんの曲は特に好きなので、今後も楽しみは続きます。