2014年8月27日水曜日

もうすぐ September


作詞:竜真知子
作曲:馬飼野康二
編曲:大村雅朗

初期・中期・後期の分類には異論があるかもしれませんが、奈保子さんの初期を輝かせた最大の功労者の一人が馬飼野康二さんだった、ということに反対する人はいないと思います。私にとっては「初期=馬飼野康二さん」のイメージが相当強く、馬飼野さんの名前がクレジットから消えてしまう「あるばむ」以降は、どうしても中期と呼ばざるを得ないのです。

その初期を締めくくるアルバムが「サマー・ヒロイン」(1982年7月21日発売)で、その最後に置かれているのが「もうすぐSeptember」です。馬飼野さんの奈保子さんへの提供曲といえば、「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」といった底抜けに明るい曲を真っ先にイメージしてしまいますが、このアルバムの最後を飾る「Please Please Please」(9曲目)と「もうすぐSeptember」(10曲目)は、長調で書かれているにもかかわらず、寂しさと切なさとが漂う印象的な曲になっています。

おそらく普通のアルバムだったら、恋人との別れを惜しむバラード「Please Please Please」でおしまいになるでしょう。でも、この「サマー・ヒロイン」というアルバムにはさらにもう一曲、ミドル・テンポの「もうすぐSeptember」が加えられました。これが特徴的ですね。カラッとした明るさ、まぶしさの中に、うっすらと陰影がさしている、とでもいいますか。別れを経験して、それでもなお前を向いて生きようとする若い女の子の強い気持ちが、奈保子さんの歌からも伝わってきます。

この方向性が、馬飼野さんのイメージする奈保子さんの「次なる段階=中期」だったのかもしれないなぁ、などと想像しています。このまましばらく、馬飼野さんが続投していたら、おそらくは、緩やかな“大人路線”をたどることになった。それはそれで面白かったでしょうね。実際には、この後、竹内まりやさん、来生たかおさん、筒美京平さんらが次々に起用され、奈保子さんは急激に“大人路線”へとシフトチェンジしていくわけですが。(馬飼野さんはこの後、同年9月1日発売のシングル「けんかをやめて」のc/w曲「黄昏ブルー」、1983年12月21日発売のベスト・アルバム「プリズム」の書き下ろし曲「虹色ファンタジア」の2曲でしか登場しません。特に「虹色ファンタジア」での奈保子さんの歌は、歌唱力がぐんと上がった時期だけに、格別に素晴らしい仕上がりとなっています。スタッフからは、馬飼野さんで初期とは別う路線を、という声もあがったのではないでしょうか。)

  Good-byeと書いた 砂浜を
  汐風がUターンして
  今あなたの 焼けた胸
  想い出に かわる日がきたの

  My Boy あの時泣きながら
  サヨナラと 口づけたわね
  アー 二人は若すぎて
  淋しさを かくせなかったの

これは1番のAメロの歌詞。ちょっと不思議な感じがしませんか。一連目はまさに今、恋人と別れなければならないその時を歌っています。しかし、二連目では時は流れ、若く未熟だった青春時代を回想している。つまり、現在と未来という、二つの時の地点からそれぞれ言葉が綴られているのです。一つの風景が、異なる視点を与えられ、二重映しに見えてきます。こういうところも、この曲に、独特の陰影を与えているのでしょう。


2014年8月23日土曜日

晩夏に人を愛すると


作詞:吉元由美
作曲:河合奈保子
編曲:瀬尾一三

晩年の作風、というものがあります。例えば、モーツァルトが死の年(1791年)に書いた最後のピアノ協奏曲(第27 変ロ長調 K.595)。あるいは、バッハの「フーガの技法」、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、シューベルトの「白鳥の歌」、ドビュッシーの室内楽ソナタ・・・。それぞれ、波乱の人生において、様々な音の実験を積み重ねてきた偉大な作曲家たちの、晩年の作品に共通する性質があるとすれば、「シンプルさ」と「透明感」ではなかろうかと思います。

奈保子さんのアルバム「JAPAN as waterscapes」(19876月発売)に収録されている「晩夏に人を愛すると」を初めて聴いた時、私の心をよぎったのは、「晩年の作風」という、予想さえしなかった印象です。もちろん、ジャンルがまったく違いますから、前段で挙げたようなクラシックの作品群と、この「晩夏に人を愛すると」という小さな歌を、同じ土俵で語ることはできません。しかし、奈保子さんが作曲したこの歌は、事実、私にそのようなことを連想させたのです。

晩年の作風は「シンプルさ」と「透明感」にある、と書きました。これは、誰もが幼年期に持っていたそれではなくて、青春期や壮年期に数限りなくいろいろなことを試した後、円熟期において作品に付着していた余計なものを削ぎ落とし、洗練させ、その結果残った本質的なもののみが持つ「シンプルさ」と「透明感」、ということです。

「晩夏に人を愛すると」は、そのような類のシンプルさと透明感を持っています。虚飾を廃した、至って簡素な歌詞とメロディーが、3回、繰り返される。ただ、それだけ。ですが、聴く者にしみじみとした惜別と郷愁の念を抱かせる、溢れるような抒情性を持っています。下手な解説は無用。耳と心を澄まして、その音に接すればよろしい。

しかし、まだ23歳だった奈保子さんが、どのようにしてこの境地にたどり着いたのか。誰もが納得するように説明するのは、私の力では難しそうです。ただ、奈保子さんは1980年にデビューして以来、目まぐるしいほどに、様々な曲と向き合ってきたことは事実です。馬飼野康二さんや川口真さんのアイドル歌謡、竹内まりやさんや谷山浩子さん、八神純子さんといった女性シンガーソングライターからの提供曲、来生たかおさんや林哲司さんの抒情的な歌、筒美京平さんのディスコ歌謡、デビッド・フォスターをはじめとするAORミュージシャンの曲、などなど。コンサートやテレビ番組では、フォーク、演歌、童謡、あるいはビートルズ・ナンバーやミュージカルの曲まで披露したこともありました。そして、未発表の作品を含む100以上の自作曲。ポップスの歌手として、これほどの短期間に、これだけ多種多様な曲を歌い、しかも、ただ歌いこなすだけではなく、その音楽自体を咀嚼し、吸収してきた歌手が他にどれだけいるでしょうか。そう考えますと、奈保子さんがこんなにも早く「シンプルさ」と「透明感」の境地に到達し得たわけが、少しだけ、見えてくるような気がします。


2014年8月20日水曜日

島田雅彦さん「中途半端さの魅力〜河合奈保子頌」


ひさびさの「徒然」カテゴリです。

島田雅彦さんのエッセイ集「語らず、歌え」は、1990年代前半にけっこう流行った本で、私も大学時代に買って持っていたのですが、その中に河合奈保子さんについての論評まであったとは、まったく記憶から抜け落ちていました。「中途半端さの魅力~河合奈保子頌」というタイトルで、19862月の雑誌「太陽」に初出掲載された、2,000字弱の短いエッセイです。

このたび、あらためて読んでみました。
島田さんの言いたいことは、およそ次のように要約されるでしょう。

・河合奈保子はサイボーグとしてのアイドル歌手である。
 (ロボットでも普通の女の子でもない、“改造”された存在。)
・河合奈保子に似合う曲がない。
 (松田聖子のように演じ切ることができず、歌詞に対して距離を置くから。)
・歌声に色艶がない。しかし、澄んだ歌声と音程の正確さはなかなか。
 (癖のない歌声は、教会で聖歌を歌うのに最も向いている。)
・河合奈保子は中途半端さを生き、歌ってきた。
 (中途半端さの魅力とは、アンビバレンツの魅力でもある。)
・しばしば見せる欲求不満のような顔が一番好き。
 (それは自らの曖昧さへの疑問を呈した表情にも見える。)

その他、時代を感じさせる表現もありますね。サイボーグとしてのアイドルではなく、反対にサイボーグやアンドロイドの既存のイメージにアイドルを押し込む“記号学的戯れ”を揶揄する島田さんは、「記号学を用いなければ何もいえないような凡庸な新人類たちは、河合奈保子の魅力を語るには役不足だ」と切り捨てています。“新人類”という言葉、そう言えばありましたよね。

字数の制約があったのか、あるいは意図的にそうしたのか。島田さんのこの論評自体が中途半端な感は、はっきり言って否めません。河合奈保子さんを「サイボーグ」と評していますが、私にはパワーアップされた改造人間であるサイボーグと、“中途半端”な一面を持つ奈保子さんの相当庶民的な立居振舞が、イメージ的にどうにも結びつきません。恋愛系の歌では、歌詞と距離を置いている感じが確かに奈保子さんには認められますが、「若草色のこころで」や「車窓」(どちらも来生たかおさん作曲)のような、恋愛以外をメイン・テーマに扱った歌はどうなのか、とか。あるいは、島田さんは奈保子さんのどの歌にも“白けた感じ”が現れると書いていますが、その“白けた感じ”や“距離感”を島田さんに感じさせる、奈保子さんの人間性・音楽性の本質はどこにあるのか、とか。(島田さんはファンを公言している以上、奈保子さんがこと音楽を相手に“中途半端”に接することなどないことはお分かりのはずですから)このあたり、もうちょっと突っ込んだ展開を期待していたのですが...。まぁ、当時すかした気鋭の作家として売り出し中だった島田さんとしては、いささか照れが出たのかも知れませんね。


2014年8月16日土曜日

Second Nature もうひとりの私に


訳詞:竜真知子
作詞・作曲:Erich Bulling / Tony Haynes
編曲:David Foster

Frank ZappaとかKing Crimsonとかの特殊な例は別として、洋楽というものにまったく疎い私は、奈保子さんの曲を聴き始めるまで「AOR」が何を意味するのか、まったく知りませんでした。Adult Oriented Rockの略と考えるのが一般的なようですが、Aの部分はAudioだったり、Albumだったり、いろいろな見方があるみたいです。私が調べた限りでは、AORに最初から明確な定義があるわけではなく、“かつてロックに熱狂した若者の世代が大人になるにつれて出現した、落ち着いたサウンドのロック”を指す、1970年代アメリカ西海岸で誕生した音楽の一流派。その代表的プロデューサーであったデビッド・フォスターやジェイ・グレイドンが作った曲のみならず、彼らが関わったTOTOCHICAGOのサウンド、あるいは彼らの本拠地であったロサンゼルスのミュージシャンたちの交友関係から出来上がった曲、などなど、それらすべてが「AOR」と一括りで呼ばれるようになり、いつしかジャンル化した、と解釈してよさそうです。

とにかくお洒落で、サウンドにささくれ立ったところがなく、経験のある大人同士の成熟した関係を思わせ(詞の中での話)、全体がマイルドな雰囲気に包まれている・・・。奈保子さんの初の海外録音アルバム「Daydream Coast」の2曲目、「Second Nature もうひとりの私に」は、そんな私のAORのイメージにぴったりな曲です。もっとも、この上品かつムーディーなサウンドと奈保子さんの甘い歌声は、油蝉たちが負けじと声を張り上げる真夏の日本ではなく、アメリカ西海岸のビーチかホテルのテラスで優雅に聴きたいなぁ、とは思いますが。そうか、日本でも、ドライブのお供としてこの曲をかけながら、夕映えに染まる海岸線の道を走り抜けたりなんかしたら、最高かも知れませんね。

  背中にまわした
  指先を すべらせて
  おびえてた子猫を 手なずけるように
  抱きしめるなんて

曲の前半は、突然男性に抱きしめられた主人公が恋の深さに気づき、その誘惑にとまどいと期待を隠しきれない様子が描かれています。そして、♪Um い・け・な・い 誘惑に 胸の鍵を ぬすまれて~♪と声を張った後、いつもの奈保子さんの曲だったら、さらに歌声に“情”と“熱”を帯びてサビに移るところですが、ここですーっと力を抜いたようにファルセットでサビ(♪It’s second nature 私の知らない もうひとりの 私がめざめる~♪)を聴かせるのです。このあたりの、エモーショナルになり過ぎることを避け、おしゃれさや上品さを保ち、なおかつ言うべきことはしっかり言う、という感じ。なんともAOR的、と形容したいです。


2014年8月11日月曜日

八月のバレンタイン


作詞:売野雅勇
作曲:筒美京平
編曲:大村雅朗

前半5曲を筒美京平さんが担当したアルバム「SKY PARK」の4曲目。奈保子さんと初顔合わせとなったこのアルバムで、筒美さんとしてはいくぶん控えめながら、いろんなことを試しています。「ちょっぴりパッショネイト」では、限られた音の素材で作った曲を奈保子さんがどう表情豊かに歌うかが試されていましたが、この「八月のバレンタイン」では、“段落と繰り返し”ばかりと見える文章を、奈保子さんがどういう流れで、どのように構成して読み上げるか、が注目されているようです。

曲の構成をアルファベットで示すと、A-B-C-A-B-C-B-D-B-C-(D)-B-C。実に細かく分かれていますね。まず、A(♪口にしなけりゃ恋は壊れないけど~♪)、B(♪背中にあなたの口びる感じて~♪)、C(♪波の音だけが切ないテラス~♪)と来て、このブロックを違う歌詞でもう一度繰り返す。すると、伴奏がすっと引いて、静かに自問自答するようなB(♪Moonlight キャンドルに~♪)に移り、今度はそれとは対照的な新しいフレーズ、思い悩みを振り切るみたいなD(♪友だちじゃいや 妹じゃいや~♪)に続きます。そして、BCが繰り返された後、歌は束の間お休みして、伴奏だけがDを演奏し(括弧書きにしたのはそういう理由です)、短縮されたBCと続いて終わります。(これだけ内容があって、曲の時間は340秒ほど!)

さて、こういう曲を、奈保子さんはどう歌うか。各部のキャラクターを、実に自然に描き分けて歌ってくれます。毎度のことながら、本当に素晴らしい表現力ですね。Aでは揺れ動く恋の悩みが、Bでは心躍る楽しい夢や記憶が、Cでは出遅れてしまった現実に対する悲観や焦りが、奈保子さんの声と歌い方によって、ある種の切なさをともなって、聴き手の心に届けられます。そして、中央のBをはさんで、8月という季節外れのバレンタインの告白を決意した女の子が、きっぱりと♪どうぞ叱らないで 八月のバレンタイン~♪と歌うDが来ます。ここにおいて、奈保子さんはこの曲の構成を実に正確に把握して歌っていることがわかるのです。

前々段で述べた曲の構成を見るとわかりやすいのですが、曲の折り返し地点となるBの後、Aは一度も登場せず、代わりにDが置かれていることに気づくでしょう。こうすることで、曲の後半はいくらか薄日が差してきたような印象になります。そう、あくまで薄日。この恋のなりゆきは、誰にもわからないのですから。奈保子さんは、このあたりの微妙なニュアンスを描き出す天才です。パレットにほんの少しだけ白を加えたような、本当にわずかな色調の変化。夢みがちな少女から現実的な恋をめざす女の子へと変わってゆく心の成長。そういったものを、すぐには気づかれないような繊細さで、この曲の後半に込めているんですね。こういう曲は、Aメロ~Bメロ~サビのようなドラマティックな展開は望めず、平坦な感じとなりますし、作者もむしろそれをねらっているわけですが、筒美さんの曲の構成と奈保子さんの歌い方によって、絶妙な傾斜とゆるやかなカーブを持つ、なんとも心地のよい歌が誕生しました。名曲揃いのアルバム「SKY PARK」の中でも、お気に入りの1曲となっています。

2014年8月3日日曜日

夏の日の恋


作詞:三浦徳子
作曲:八神純子
編曲:大村雅朗

梅雨明けして何日か経ちますが、こう毎日暑いと、奈保子さんの夏ソングをひっきりなしに聴いていたくなりますね。奈保子さんの夏ソングの特徴は「熱くて、涼しい」。なんだか矛盾した物言いですけれども、私はそういう感想を持っています。心は感電したように熱くなるけれど、肌には涼風があたっているような感じ。

シングル「コントロール」(1984年6月1日発売)のC/W「夏の日の恋」も、とことん熱く、「奈保子さん、どこまで歌えば気がすむの?」と思ってしまうくらいパワフルに歌い上げるのですが、聴き終えると、気持ちいい汗をかいた後のような清涼感に包まれる。そんな、奈保子さんならではの夏ソングです。

「夏の日の恋」は、八神純子さんの1980年11月5日発売のシングル「Mr.ブルー~私の地球~」のC/Wとして、すでに世に出ていました。奈保子さんは、1981年6月のインタビューでお気に入りのレコードを尋ねられ、シーナ・イーストン、イルカとともに八神純子さんの名前を上げていますし、1982年1月のライヴでは八神さんの「Deja vu」をカヴァーしているので、かなり早い段階から八神さんの音楽に惹かれていたようです。そして、いよいよ八神さんに正式に曲を依頼するという段階になって、新たな気持ちで「夏の日の恋」を歌ってみたのではないか、などと想像しています。そして「これは行ける!」となり、「コントロール」が作られ、さらにアルバム「Summer Delicacy」のための数曲も出来上がっていった・・・。

こんなことを想像してしまうのも、やっぱり八神純子さんが作る曲は“難しい”と思うからです。八神さんは、基本的に、驚くべき歌唱力を持つご自身が歌うためだけに、曲を書いています。そのような八神作品に挑戦するには、入念かつ周到な準備が必要だったはずです。そして、果たせるかな。その挑戦は成功だったと言えるのではないでしょうか。八神作品を歌うことで、奈保子さんは一段と伸びる“強い”歌声を手に入れ、これらの作品以降、表現力がさらに深まったと思えるからです。竹内まりやさん、石川優子さん、谷山浩子さん、尾崎亜美さんと続いてきた“女性シンガーソングライター提供曲路線”の最後に八神純子さんが位置していることも、何やら“卒業試験”のようで、象徴的だと思います。

興味は、八神純子さんのオリジナルとの比較、ということになるでしょう。アレンジも違う(同じ大村雅朗さんなのに!)、調も違う(八神さんはc-moll、奈保子さんはa-mollで、奈保子さんは短3度下げて歌っています)、それにお二人の表現の方向性も違う。ということで、まるで別の曲に聴こえます。

  渚はターコイズブルー 散りばめた楽園
  あなたはうたた寝 光にまかれてる
  灼けた素肌が 木影を恋しがる
  一足お先にと 逃げ込んだ私
  んん あなたを置いて

八神さんのは、木影に逃げ込んだ“私”が、“あなた”との距離をはかり、もどかしさを感じながら、この恋は幻であり、すぐに燃え尽きてしまうだろうことを予感している。大人の女性の恋です。だから、その声は、予想に反して抑制され、メランコリックな色彩を帯びています(それでも、どこまでも伸びる、艶やかなハイトーン・ヴォイスを堪能できますが)。対して、奈保子さんの歌う“私”には、メランコリーに浸る余裕は、まだない。この夏の恋を、刹那の恋にはしたくないと、懸命に生きる“私”の姿が浮かんできます。♪情熱のままに連れてって 空を超えどこまでも~♪と奈保子さんが歌う時、そこには夢でも幻でもない、現実の切なる願望が込められていて、それが私たちの胸を打つのです。

今回、じっくりお二人の歌を聴いてみて、「夏の日の恋」という曲の本来の姿は、やはり八神純子さんの歌で味わうべきものと思いました。しかし、20歳の奈保子さんの“挑戦”と、まっすぐな歌いぶりは、また捨てがたい魅力を持っているのも事実。いろんな表現を許容する曲自体にも、大きな拍手を贈りたい気持ちです。


※7月30日に「ゴールデン☆アイドル 河合奈保子」(3枚組)が発売されました。そこにも「夏の日の恋」は収録されています。リマスタリングには良し悪しがありますが、「夏の日の恋」はより迫力のあるサウンドに仕上がっているようです。